2011年3月31日木曜日

2011.03.11

順調にこの blog を更新してきましたが、ここ暫く停滞していました。タイトルにもある通り、東日本大震災が2011年3月11日に発生しました。その後も順調に復興に向かっているとは言いがたく、ここ関東に居ても一時期の不便さは解消されたものの、未だ先の見えない不安感のようなものが漂っているように感じます。それはそれとして、記録として 3.11 に私の職場の東京ではどうだったか、について記録として残しておきたいと思います。

地震が発生した 14:46 には、ビルの17Fの会議室に居ました。最近ちょくちょく地震は発生していましたので、さほど珍しい現象でも無く、最初は揺れがすぐに収まるかと思いました。なので、最初は「あ、揺れているな」程度の感覚でした。しかし、揺れはおさまらずむしろ大きくなっているような感覚でした。さすがに尋常ではないと思い、会議室 (窓側でした) からビルの中央付近までとりあえず移動しました。途中、まっすぐには歩けずゆらゆらと動く建物の中を壁に手を付きながら移動しました。まるで船の中を歩いているような感じで、普段固定されている防災用の中扉が外れていました。中央にはエレベータの他に非常階段もあります。そこを降りて外に出ることも考えましたが、比較的新しいこのビルが崩壊するような状況では、外に出るほうが危険だろうと考え、揺れがおさまるまで暫く様子をみていました。
当然のことながら、会議はそこでおしまいとなり、エレベータが止まっていることもあり (そのときは未確認) 階段で執務室まで戻りました。揺れの余韻なのか自分の感覚が戻らないのか、揺れているような感じが続いていました。階段の途中の壁が少しはがれていましたが、とりあえず階段は大丈夫でした。窓の外をみると、東京駅方面には建築中の高いビルが幾つかあります。その向こうの海側には黒い煙が立ち上っていました (その後ニュースでお台場あたりで火災が発生したと確認)。
執務室にある TV で暫くニュースを確認していました。オンラインの動画サイトでも、TV と同じ内容をほぼリアルタイムで再配信していました。ときおり余震で大きく揺れます。TV では港あたりが津波にのまれる映像が流れていました。我々は呆然とその状況を見ているだけでした。

ふと我にかえり、家族や帰宅のことが気になりました。電話は案の定、携帯も固定もつながりません。携帯宛のメールも届いている気配はありません (Email は問題無く使えていました)。JRは早々に本日中の運行の取りやめを発表していました。地下鉄や私鉄の運行再開見込みはわかりません。しかし、こういったときに慌てても仕方ありません。とりあえず家族の状況を確認すべく定期的に電話をかけ続け、電車の運行状況をチェックしていました (Web も問題無く使えました)。
途中、長期戦の覚悟と外の様子を見る目的で、外に出てみました。こんな時間 (19:00 過ぎ) なのに道路は車で渋滞ですし、歩道にもすごい人が歩いています。多くの人が自力で帰るつもりなのでしょう。

いつものうどん屋さんはどうしているのだろうと思って行ってみたら開いていました。東京でもかなり揺れたはずですが、有難いことです。いつもの釜玉 + げそ天を食べました。美味しかったです。

帰りにコンビニにも寄ってみましたが、食料的なものはほとんど売り切れになっていました。お弁当におにぎり、パンまでありません。飲み物は多少ありましたので、それらを買って帰りました。会社での泊まりを考えたのでしょう、中にはワインを買っている人も居ました。正しい選択かもしれません。帰りも階段を登りましたが、戻ったときにはエレベータが既に動いていました。まぁ良い運動でした。
その後、家族とも連絡がとれ、電車も22:00過ぎには運転を再開しました。動きたてはものすごい混雑でしたが、何とか家まで近づき、最後のJRは動いていないので、家の者に車で迎えにきてもらい、日付が変わったあたりに帰宅できました。

翌日から週末でお休みでしたが、日曜日に普段通りに買い物に行くと、買い占めなのでしょうか、スーパーの商品が根こそぎ無くなっています。ニュースを見るとガソリンスタンドも長蛇の列らしく (営業していない所も多い) いずれも週末に一週間分を補給する我が家としては、ちょっと困った状態でしたが、あるもので何とか過ごしました。
翌週もJRはしばらく動かず、動いた後も本数が少ないためにものすごい混在だったようです。会社側も無理して出社しなくて良いとのことで、翌週は自宅で仕事をしていました。定期的に計画停電があり、昼はまだ良いのですが、夜に停電になったときはさすがにちょっと困りました。しかも短時間ならまだ我慢もできますが、3時間近くも停電されるはさすがに困りました。対象地域でも実際には停電しなかったところもあったようで、これが長く続くようでしたら不公平感がさらに高まったと思います。

これから夏が心配ですが、その後の様子についても、おりをみて記録に残したいと思います。

2011年3月3日木曜日

Running Around the World, Orland

出張の記録は別途残しますが、とりあえずそこで走った記録を先に。
折角だから、世界のあちこちで走ってみよう、という企画の 3回目です。2回目の記録を残していませんが、一応 Washington DC でホテルの周辺を少し走っています。あまり良い route ではなかったのですが、実は側に良さそうなサイクリングロード (George Washington Memorial Pkwy) があることを見つけ、ちょっと残念だったせいもあります。次回訪問する機会があれば、そこを走ってみたいと思います。
ところで、昨年末から走ると左膝が痛む (階段の下りだけ) 症状が出ていたので、今回はちょっと走れるか心配していました。暫く大人しくすると直るし、寒いときに右側も同じような違和感を感じたので、どこかを痛めたという感じではないのかと思い始めました。ひょっとして膝の軟骨あたりが摩耗しているか血行が悪くなっているのではと思い、市販のグルコサミンを摂取してみました。日本でちょっと走ってみたところ、以前ほどの痛みが無くなったので、原因はこれだと思い、以来しばらく服用しています。そのかいもあって、フロリダでの出張時にも2度ほど走ることができました。暖かかったこともあり、痛みはありませんでした。

最初、ホテルの人に良いコースは無いか聞いたのですが、船かバスで移動すればキャンプ場があって、そこに良いコースがあるけど、ここ (Disney Contemporary Hotel) では、周辺くらいと言われてしまいました。こんな広大な空間なのに、コースも整備されていないのか、と思いましたが、昨今の jogging 人気 (実際、Balcerona や Washington DC では結構走っていました) の割には、ここでは走る人は少なかったのも確かです (一人だけ見ました)。まぁリゾート地ですから、致し方ないかもしれません。気候は良いのですが。
最初は、ホテルの人に教えてもらった通り、ホテルの周りを大きく回って 1.2km ほど。次に Magic Kingdom までの歩道があることを発見し、そこを行けるところまで言ってみようと走ってみました。Magic Kingdom の正面には、トラムと船の駅があって、そこで行き止まりかと思ったら、さらに歩道があって、池に注いでいる川の手前まで続いていました。そこまで走って戻って 3km 弱くらいでした。久々だったので、ちょっと息がきれてしまいましたが、気温もさほど高くなく天気も良かったので、なかなか良かったです。上記の記録はこの2回目のものです。

丁度、走り終わったあたりで日が昇っていて綺麗でした。いつまでも走っていられますように。